• 8月 5, 2025

パンノキの物語

私のクリニックに来る人たちの多くは女性だ。 自分のことより家族や他者を優先する、優しさに満ちた人がほとんどである。

みずほさんも、そんな女性の一人だ。道を尋ねたら、場所がわからなくても一緒に探してくれるような、温かい人柄がにじみ出ている。手芸が得意で、自作の愛らしいアクセサリーを身につけている。彼女の悩みは、お連れ合いとの関係だ。

男性中心の社会は、女性の無償の優しさによって成り立っている部分が少なくない。もちろん家庭内も例外ではなく、みずほさんは、妻として、母として無償の労働を当然のこととして強いられてきた。クタクタになるまで介護に追われても、お連れ合いからの感謝も謝罪もない日々に心は渇き、すり減っていった。初めてクリニックに来た時、彼女は重度の鬱状態だった。

 みずほさんには強力な味方がいた。家庭内の状況を冷静に見つめ、母親である彼女を支えてくれた思春期の子どもたち。そして、彼女が大切に育ててきた豊かな趣味の世界だ。手芸、料理、パン作り、そしてたくさんの観葉植物。 私にできることは、同じ女性として心から共感し、話を聞くことだけだったが、みずほさんは少しずつ、自らの力で元気を取り戻していった。 そして優しさを搾取されないよう、夫よりも一歩前に進む強さを身につけていったのだ。 みずほさんの独立宣言である。

 先日、彼女がクリニックを訪れた時、目を輝かせて話してくれた。「前から欲しかったパンノキの種がもうすぐ届くんです。とっても楽しみで」と。

「パンの木」? 思わず木から美味しそうなパンがぶら下がっている図を想像した。 本当にパンがなるのだろうかと、食い意地が張っている私はさっそく「パンノキ」について調べてみた。 すると、その名の通りパンノキには焼きたてのパンのような香ばしい香りと、どこか懐かしいジャガイモのような風味がする実がなる事がわかった。 

パンノキの故郷は、ニューギニアやフィリピンにある。大昔、海を渡る人々と共にオセアニアの島々へと広がり、やがて植民地時代になると、ヨーロッパの航海士たちがその有用性に着目した。彼らは、栄養価が高く、栽培しやすいこの木をタヒチなどのポリネシアの島々から持ち出し、世界各地の熱帯地域へと植え広げていったのだ。

中でも、パンノキの歴史を語る上で欠かせないのが、奴隷貿易の影に隠された数奇な運命である。18世紀、イギリスの探検家たちは、ジャマイカの奴隷たちの食料不足を解決するため、この木をタヒチからカリブ海へと運んだ。しかし、この壮大な計画は思わぬ抵抗に遭う。奴隷たちにとって、それは支配者から与えられた「支配の象徴」であり、彼らはささやかな抵抗として、パンノキを口にすることを拒んだのだ。

しかし、時は流れ、ジャマイカが独立を果たした1962年。植民地支配のイメージから解き放たれたパンノキは、再び人々の食卓に戻ってきた。かつては拒絶されたこの木は、今ではジャマイカの食文化に欠かせない存在となり、人々の暮らしを豊かにしている。

パンノキは多くの実をつける。 その成長の早さから食料危機の救世主として期待されてきたらしい。 さらには食料としてだけでなく、木材としてその軽さと丈夫さから船や家屋の材料としても活用されてきたのだ。 

世界を旅し、愛され、時には拒絶されながらも、人々の生活を静かに、そして力強く支え続けている。 思いがけずパンノキを巡る壮大な物語に出会った。

すべてを与え尽くす豊かな存在でありながら反骨と独立の歴史を持つパンノキに、私はみずほさんをはじめとした女性達の姿を重ねざるを得なかった。

日本という異郷の地で、パンノキの種を蒔くみずほさん。その種がどんなふうに芽を出し、成長していくのだろう。 いつかパンノキの実を食べてみたいものである。

パンノキとパンノキの実。 英語ではBreadfruit tree 、直訳するとパンノミノキなんだけど。

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