- 7月 21, 2025
草むらウオッチング
物心ついたころから、私のまわりにはいつも草の匂いがあったように思う。 家の庭には、ままごと用にすりつぶす分厚い葉のつく草が、学校への道すがらも、そこかしこに草むらがあり、庭の木々が揺れていた。 小学校の帰り道というのは、どうしてあんなに楽しかったのだろう。ランドセルをがたがた揺らしながら、猫じゃらしで毛虫ごっこ、引っ付き虫を投げ合ったり、おおばこの葉を絡ませて、ぷつりと切れるまで引っ張り合う草相撲。カヤツリグサを引き抜いて、くるりと結んで即席のかんざし。ツツジの花を摘み、蜜を吸う。文字通りの「道草」を、私は毎日、飽きずに行っていた。
いつから、足元の景色を見なくなったのだろう。日々に追われ、アスファルトの上を車で飛ばし、草や木から遠ざかった。 身体のほうが先に気づいたのか、どうにも心が乾いて仕方がない。そんな時、我が家に犬が来た。朝夕の散歩が始まり、私の目線は、ふたたび地面の近くへと戻ってきたのである。
毎日歩いていると、草むらの顔ぶれが、子供の頃とはずいぶん違うことに気がつく。昔は明らかに、ここにはいなかった草や花。
その中で、心惹かれるのが、ベニバナユウゲショウという可憐な花だ。亡き母が好きだったせいか、子供たちは「おばあちゃんの花」と呼んでいる。よそから来た花らしいが、こうして和の名前がついているだけ、まだ良いほうだ。
近頃、とんと見かけなくなったタンポポの代わりに、やけに背の高い、ひょろりとしたタンポポもどきが群生している。調べたら、スコルゾネロイデス・オータムナリス。 和名は、ないらしい。かと思えば、イポモエア・ルブリフロラなんていう、これまた舌を噛みそうな覚えにくい名前の、小さな紅色の花も咲いている。草むらの世界も、ずいぶん国際的になったものである。
中でも、一番ふてぶてしいのが「ワルナスビ」だ。薄紫の楚々とした花をつけるくせに、いかにもたちが悪そうな名前をつけられたものだ。暴走族の特攻服の背中に刺繍したら、さぞ似合うだろう。茎にも葉にも、長い棘がびっしりと生えていて、摘み取ろうものなら、こちらが生傷だらけにされてしまう。年々その勢力を広げ、どうにも厄介なやつなのだ。
五月。毎日通る公園の草むらは、昔はタンポポの黄色い絨毯だった。それが今年は、ワルナスビと、あのスコ…なんとかいう草に、すっかり占領されてしまった。もう少し、タンポポに頑張ってほしい。
そんな私の思いを見透かしたような方が、いらっしゃった。 月に一度、ご家族と来院される隆さん。物静かで、いつも穏やかな方だ。生活記録のノートには、日々の出来事が淡々と記されている。「映画を観た」「買い物に行った」「植物に水を上げた」。
「何を育ててるんですか?」 何気なく尋ねた私に、隆さんは少し照れたように、こう言った。 「タンポポです」 あの、ふわふわの綿毛をひとつひとつ、つまようじか何かで、プランターに蒔いたのだという。 他にも、つゆ草を育てているのだとか。そんなことをする人が、まだこの世にいたなんて。私はなんだか嬉しくなって、興奮気味に言った。 「芽が出たら、ぜひ教えてくださいね」
そして、ひと月が経った。診察室に入ってこられた隆さんのお顔を見るなり、私は挨拶もそこそこに尋ねてしまった。 「隆さん、タンポポは!」
ところが、である。芽は出たものの、どうもうまく育たないのだという。 「ベランダの日光が、強すぎるのかもしれません」 ううん、なんということ。そんなことでは、ワルナスビやスコルゾネロイデスには勝てないぞ、タンポポ。 日当たりを塩梅して、なんとか自家栽培を成功させてほしい。ベランダの小さなプランターから、まあるい黄色い花が顔を出す日を、私は今か今かと待っている。
がんばれ、タンポポ。がんばれ、隆さん。

セイヨウタンポポとベニバナユウゲショウとツユクサの花束。 2年前のものです。