- 7月 4, 2025
青いインク
ゆりこさん、という人がいる。 一年あまり前にお母様を亡くし、今はひとり暮らしだ。その寂しさが癒えたわけではあるまい。
そんな彼女のささやかな慰めは、お気に入りの店で買う紅茶と、万年筆だという。診察のたびに、日々のことを綴ったノートをそっと見せてくれる。「お米を炊いた」「訪問看護師さんが来られた」「スイーツを食べた。美味」――。どうということはない、短い言葉の連なりだ。しかし、青いインクで書かれた流麗な文字は、驚くほど折り目正しい。その文字を見ていると、不思議なことに、こちらの気持ちまでしゃんとする。だらしなくなりかけた背筋が、すっと伸びるような心持ちがするのだ。
ところがある日、その穏やかな日々に、影が落ちた。甲状腺に腫瘤が見つかったのである。これから生検を受けることになっている。不安そうな顔で、けれど、彼女はこう言った。
「不安がないと言えば、嘘になります。でも、信心する者として、これは良いチャンスなのではないか、と。この病気で、『体験』をつかみたい」
病気で、体験をつかむ。 その言葉に、私は驚いた。 病気を体験するのではなく、病気で体験をつかもうというのだ。 短い診察の時間では、彼女の言う「体験」の真意を詳しく聞くことはできない。だが、熱心な信者である彼女が、自らの信仰を試すように、病と向き合おうとしている。その覚悟だけは、ひしひしと伝わってきた。
何かを信じる信じないは別として、人の一生とは、ままならぬものだ。日々、大小の出来事が私たちを襲い、傷つき、傷つけ、腹を立てたり笑ったり、私たちはいつも、感じ、考え、何かを選ぶことを強いられる。
翻って、自分はどうだろう。一日一日を、ちゃんと「体験」として、この身に落とし込んでいるだろうか。ゆりこさんの言葉が、不意に胸の真ん中に落ちてきた。
いくつになろうが、何者であろうが、日々の人や事柄との関わりをきちんと味わうこと。それが、自分を深め、変えていくよすがになる。
「体験をつかむ」。 あの青いインクの文字を思い出しながら、その言葉を噛みしめる。それは、闇の中に差す一筋の光のような、したたかで、力強い言葉ではないか。
