• 6月 30, 2025
  • 7月 9, 2025

ブログ「つみきの日々」

開業して一年半が過ぎた。そして今、こうして、生まれて初めてブログというものを書いている。

今更ブログが初めてだなんて、と言われるかもしれないが、私は新しい技術にやみくもに飛びつくという習慣を持ち合わせていない。アナログ好きと言えば聞こえがいいが、単なるメカ音痴。 生活という名の海流の中で、どうしても必要だと感じたときにだけ、ようやく重い錨を上げる人間だ。

車というものも、そう。学生時代に周りの影響から免許を取ったが、ハンドルを握ることにまったくといってよいほど魅力を感じないため、免許証は長い間単なる身分証明書に過ぎなかった。 ブランクをこじ開け、車を日々の営みにおいてなくてはならない道具にしたのは、子供の送迎という差し迫った必要性だった。 スマート・フォンという名の小さなガラスの板きれもまた、同様の経緯で私の手の中に収まることになった。 

そんな私が、ブログを始めるために重い錨を巻き上げたのは、桃代さんという女性との出会いである。 彼女は数年前自宅で看取った母親のペンフレンドだった。 ちなみに亡き母は驚くほど筆まめな人間だった。まるで呼吸をするように、母は毎日、親戚や友人、そして家族に手紙を書き送った。 亡くなる数週間前まで、ペンが握れる限り、病床から私につぶやきを書き送った。 桃代さんとも毎日毎日手紙のやり取りをしていたそうだ。 二人は実際には二回ほどしか会ったことがなかったにもかかわらず。

桃代さんは言った。「けい子さん(母の名)の手紙から、ものの見方というものを教わった気がします」と。その言葉は、私の心に小さな温かい染みを作った。そして、その新しい友人もまた、母親に劣らず書くことを愛する人間で、ほぼ毎日のように、LINEという現代の回線に乗って、楽しいエッセイを送ってくる。 日々のささやかな感動が、的確な言葉で切り取られている。 旅先からは、「また手紙書きます」で締めくくられた絵葉書が送られてくる。 

そして最近、それを読んでいるうちに私の中の何かが、不意に「書いてみたら」とささやいたのだ。愛犬との散歩の途中、頭の中をよぎっては消えていく、とりとめのない思考の断片。そういったものを、まずは言葉という器にすくい取ってみよう。そう思った。

日記や手紙と、ブログというものの間には、決定的な断絶がある。それは、宛先のない手紙を、見知らぬだれかが読むという事実だ。そしてクリニックの院長という肩書きを持つ以上、そこに記される言葉には、ある種の責任が影のように付きまとう。 それでも書いてみたいと思う。 なぜなら、私が思うに、精神科の診察というのは、たとえ限られた時間であっても、心と心のささやかな交歓が生まれる場所なのだ。 私という人間が、普段こころの内側でどんな言葉を紡いでいるのか、積木の街通りクリニックにいらっしゃる方にほんの少し知ってほしいと思うのである。

震災前の能登の海ベ

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