- 6月 30, 2025
ブログ「つみきの日々」
開業して一年半が過ぎた。そして今、こうしてブログというものを書いている。何ごとにも、はじまりというものがあるらしい。私にとって、これは「生まれて初めて」の経験、ということになる。
今更ブログが初めてだなんて、と言われるかもしれない。たしかにブログという存在は、ずいぶん前からこの世界にありふれている。私は、新しい技術にやみくもに飛びつくという習慣を持ち合わせていない。アナログ好きと言えば聞こえがいいが、単なるメカ音痴。 生活という名の海流の中で、どうしても必要だと感じたときにだけ、ようやく重い錨を上げる。 そういう種類の人間である。
車というものも、そう。学生時代に周りの影響から免許を取ったが、ハンドルを握ることにまったくといってよいほど魅力を感じないため、免許証は長い間単なる身分証明書に過ぎなかった。 ブランクをこじ開け、車を日々の営みにおいてなくてはならない道具にしたのは、子供の送迎という差し迫った必要性だった。 スマート・フォンという名の小さなガラスの板きれもまた、同様の経緯で私の手の中に収まることになった。
テクノロジーに関していえば、何ごとにつけスロースターターなのだ。 テクノロジーが驚くべき速さで進む時代の中、その速度に追いつけず、マラソン集団の最後尾を遥か先にながめつつ、よろよろしながら走り続けるランナーよろしく、「生まれて初めて」を積み重ねている私のような人間も、案外少なくないのかもしれない。 錆びつきかけた脳のネジを巻き直すには、悪くないリハビリテーションだろう。
では、そんな私が、なぜこのタイミングでブログを書こうなどと思い立ったのか。話は数年前に遡る。自宅で看取った母親は、驚くほど筆まめな人間だった。まるで息をするように、あるいは渡り鳥が季節の到来を告げるように、彼女は毎日、親戚や友人、そして家族に手紙を書いていた。 亡くなる数週間前まで、ペンが握れる限り。病院から私につぶやきを書き送った。
彼女の死後、ひとりの若い看護師と知り合う機会があった。母親の手紙が結んだ、不思議な縁だった。彼女は言った。「けい子さん(母の名)の手紙から、ものの見方というものを教わった気がします」と。その言葉は、私の心に小さな温かい染みを作った。そして、その新しい友人もまた、母親に劣らず書くことを愛する人間らしかった。 数日に一度、LINEという現代の回線に乗って、楽しいエッセイが送られてくる。日々のささやかな感動が、的確な言葉で切り取られている。 旅先からは、絵葉書が、「また手紙書きます」で締めくくられて送られてくる。
彼女の文章に触れているうちに、不思議なことが起きた。私の中の何かが、不意に「書いてみたらどうだ」とささやいたのだ。愛犬との散歩の途中、頭の中をよぎっては消えていく、とりとめのない思考の断片。そういったものを、まずは言葉という器にすくい取ってみよう。そう思った。
日記や手紙と、ブログというものの間には、決定的な断絶がある。それは、宛先のない手紙を、見知らぬ誰かが読むかもしれないという事実だ。そしてクリニックの院長という肩書きを持つ以上、そこに記される言葉には、ある種の責任が影のように付きまとう。正直なところ、簡単なことではないだろうと感じている。
私が考えるに、精神科の診察というのは、たとえ限られた時間であっても、心と心のささやかな交歓が生まれる場所なのだ。水上香里というひとりの人間が、その内側でどんな言葉を紡いでいるのか。それを知ってもらうことが、巡り巡って、あなたの心の片隅で何かの役に立つことがあるのかもしれない。そんな淡い期待を、私は抱いている。
うまく書けるかどうか、よくわからない。それでも、この言葉の断片が、読んでくれるあなたの心に、何か温かい小さな石のようなものを届けられるとしたら。それ以上の喜びはない。
ともあれ、そういうわけで、「ブログつみきの日々」ははじまる。

震災前の能登の海ベ